忘れな草(デ・クルティス) テノール ベニアミーノ・ジーリ
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- Опубликовано: 6 фев 2025
- 忘れな草 エルネスト・デ・クルティス
Non ti scordar di me Ernesto De Curtis
テノール ベニアミーノ・ジーリ
Tenore Beniamino Gigli
「忘れな草」は1935年にデ・クルティスが作曲したイタリア歌曲です。 同年に制作されたテノール歌手ベニャーノ・ジリ主演のドイツ映画「忘れな草(Vergiss mein nicht)」の主題歌として作曲されました。
ベニアミーノ・ジーリ
1890年にイタリアのアンコーナ近郊のレカナーティで生まれました。
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に学び、1914年パルマで行われた国際声楽コンクールで1等賞を取りました。彼のオペラ・デビューは1914年ロヴィーゴでのポンキエルリの『ラ・ジョコンダ』エンツォ役で、非常に注目されました。翌年にはナポリでアリゴ・ボーイトの『メフィストーフェレ』でファウスト役を歌いました。
1920年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場でボイートの『メフィストーフェレ』でデビューしました。ここでは他にプッチーニの『ラ・ボエーム』のロドルフォ、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』のタイトルロールなどをよく歌い、後にどちらも全曲録音しています。
1921年、エンリコ・カルーソーの突然の死のあとの空白を埋める歌手となり、すぐに世界的に最も有名なイタリア人テノール歌手と呼ばれるようになりました。しばしば「第二のカルーソー」と呼ばれますが、彼自身は「第一のジーリ」として知られるほうを好むと言っていたそうです。
1932年にはイタリアに戻り国内の歌劇場や欧州および南米の歌劇場で歌います。当時、ムッソリーニのお気に入りの歌手であったとして批判されましたが、それは一時的なダメージにとどまりました。第二次世界大戦中は公開の演奏から引退していましたが、1945年復帰して成功を収めます。
晩年の数年間はオペラの舞台よりもコンサートへの出演を主として活動しました。1955年の引退後は自伝を書き、2年後の1957年ローマで没しました。疑いなく、ジーリは30年以上にわたって世界で最も有名かつ敬愛されるテノールとして君臨したのです。
Old good Italian bel canto!
Thank you.